日本人全員が今後問われる葛藤 [政治・社会]
原子力発電所には「推進派」と「反対派」がある。かつて朝まで生テレビという番組で双方が激論をしたこともあった。「激論」と言うと一つの論点で双方が議論をするような感じがするが、議論は全くかみ合わず、反対派は、ありとあらゆる側面から危険性を訴え、推進派は化石燃料の枯渇、環境問題、電力需要の伸びを考慮すると、原子力をある程度使わないと国民生活が維持出来ない、と主張を続けるのみであった。
誰だか忘れたが、批評家の一人が、「日本では自動車で毎年5000人~1万人の人が死ぬが、自動車反対派と推進派に分かれた議論をすることは無い・・」と言っていたのがとても強く印象に残った。
私としては、どちらを選ぶか?と突き詰めて質問をされるような立場には無いため、旗色を鮮明にしたことは無いのですが、心情的には、心のどこかで原発を容認してきていたように思います。資源を持たない国がこれだけの人口に豊かな生活を送らせるためには、電力を使って品質の高い製品を作り続けることと、電化した公共輸送機関を持つことが必要不可欠だと考えるからです。
自動車も、普及当初は「交通戦争」と言われ毎年1万人以上の死者を出していたのが、道路の整備、自動車の安全性の向上、交通教育などに国中を上げて取り組んだ結果、昨年の死者は5000人以下にまで減少しています。
原子力を全否定することは、日本経済の成長の鈍化、もしくは縮小、国民の収入・生活レベルの悪化・劣化、を受け入れる覚悟が無いと出来ないことだと思います。成長期で伸び盛りの日本にとってはとても受け入れられない選択肢だったと思います。
今回、原子力というものが、関係者が言っていたほど安全なものでもクリーンなものでも無いことが判ってしまいました。福島での事故がどういう形で収束しようとも、今後、国家として原子力というものと、どのように向き合うのか国民一人一人が考えなければならない時が早晩来ると思います。大きく分けて道は二つです。
一つ目は原発を少しずつ閉鎖し、総電力使用量を向こう何十年かの間で、ダイエットのように減少させながら、製造業を少しずつ縮小し、国民生活を今より質素なものに変えていく道。
二つ目は今回の事故の経験を最大限生かして、国中の原発の安全性を更に向上させ、今後も度々は起こるであろう原発の事故は「仕方の無いもの」として受け入れるていくことで生活レベルを維持する道。
原発は嫌だけど、生活レベルは下げたくない、という選択肢は残念ながら無いと思います。
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